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土が語ることを、どこまで信じるか

ロマネ・コンティとビオディナミという思想について

ABC編集部2026.07.09 5分
土が語ることを、どこまで信じるか

収穫の季節、ワインの世界でひときわ神話めいた響きを持つロマネ・コンティ。その背後にある「ビオディナミ」という農法は、科学と信仰のあわいに立っている。テロワールという言葉を、もう一度静かに考えてみたい。

秋になると、ワインの話題が少し増える。収穫の年、天候の巡り合わせ、そして毎年のように語られる「テロワール」という言葉。土地の個性、気候、人の手が合わさって生まれる味わい——という説明は間違ってはいないが、便利すぎるぶん、いつのまにか中身が薄くなってしまう言葉でもある。

その中で、ロマネ・コンティという名前だけは、いまだに特別な響きを保っている。ブルゴーニュのごく小さな畑から生まれるこのワインは、価格の高さだけでなく、その栽培法によってもしばしば語られてきた。ビオディナミ農法である。

ビオディナミは、20世紀初頭の思想家ルドルフ・シュタイナーの農業講座に端を発する。月の満ち欠けや惑星の位置に合わせて種を蒔き、牛の角に詰めた堆肥を土に埋め、天体のリズムと農作業を結びつける。人智学という、彼の思想体系の一部だ。科学的な再現性という点では、懐疑的な研究者は多い。効果を裏付ける明確な統計は乏しく、農学の主流からは距離がある。それは正直に書いておくべきことだ。

一方で、実際にこの農法で畑を営む生産者たちは、口を揃えて「土が変わった」と語る。土壌の微生物相が豊かになった、根の張り方が違う、ぶどうの皮が厚くなった——これらは数値化しにくい感覚であり、科学的な証明とは別の種類の知見でもある。信仰と経験則のあいだにあるものを、簡単に切り捨ててよいのかどうか。ここは意見の分かれるところで、ABCとしても一方に肩入れするつもりはない。

興味深いのは、こうした「見えない力への配慮」が、実は日本の農耕や祭祀の文化とも遠くない場所にあることだ。佐原の秋祭りでは、山車の巡行そのものが五穀豊穣への奉納であり、豊作は人の努力だけでなく、目に見えない何かとの折り合いの結果として語られてきた。天体のリズムに合わせて土を耕すことと、氏神に感謝を捧げることは、思想の系譜としては別物だが、「自然の営みは人知を超えている」という前提を静かに共有している。

だからロマネ・コンティを飲むという経験は、単に希少なワインを味わうということ以上の意味を持ちうる。そこには、目に見える科学と、目に見えない信頼のようなものが同居している。味の評価は、化学分析だけでは決して語り尽くせない。飲む人の記憶や期待、その場の空気までもが、味わいの一部になってしまうからだ。プラシーボ的な作用ではないかという指摘もあるが、それもまた、人が味をどう経験するかという問いの一部にすぎない。

テロワールという言葉が観光や広告のコピーとして消費されるたび、その土地が本当に持っている固有の時間——何十年、何百年という堆積——は、少しずつ薄められていく気がする。土が語ることを、どこまで信じるか。それは科学の問題であると同時に、私たちがどれだけ丁寧に、一つの土地と向き合う時間を持てるかという問いでもある。答えを急がず、グラスの中の色をしばらく眺めているくらいがちょうどいい。

よくある質問

ビオディナミ農法は科学的に効果が証明されているのですか。
明確な統計的証明は乏しく、農学の主流からは懐疑的に見られています。一方で実践する生産者からは土壌の変化を実感するという声も多く、評価は分かれています。
ロマネ・コンティはすべてビオディナミで作られているのですか。
同畑を含むブルゴーニュの一部生産者がビオディナミを採用していますが、地域や生産者によって農法は異なります。個別の詳細は生産者の公表情報で確認が必要です。
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