点と点
糠床は、管理できない
発酵の現場と、組織づくりのあいだにある同じ忍耐

発酵は、待つ仕事だ。手をかけるほど良くなるとは限らず、かといって放っておけば駄目になる。
発酵は、待つ仕事だ。手をかけるほど良くなるとは限らず、かといって放っておけば駄目になる。糠床を預かったことのある人なら、あの独特のもどかしさを知っているだろう。混ぜる、嗅ぐ、待つ。やることはそれだけなのに、少しも思い通りにならない。
糠床のなかでは、乳酸菌や酵母が、それぞれの都合で増えたり減ったりしている。人間にできるのは、環境を整えることだけだ。温度を保ち、塩を足し、空気を入れる。菌に「こう働け」と命じる方法は、どこにもない。育てているようでいて、実のところは、育つのを邪魔しないでいる。
この感じは、人の集まりを預かったことのある人にも、どこか覚えがあるはずだ。指示すれば動く部分は、組織のごく一部でしかない。信頼や、雑談や、誰かがふと引き受けてくれる小さな仕事——そういうものは、命令からは生まれてこない。整えられた環境のなかで、勝手に育つか、育たないかだ。
もちろん、組織を発酵に喩えるのは、ひとつの見立てにすぎない。人は菌ではないし、比喩を押し進めれば放任の言い訳にもなる。手を離すことと、手を抜くことは違う。ただ、制御できないものと一緒に働く、というその一点において、台所と会議室は驚くほど似た顔をしている。
効率の言葉は、待つことが苦手だ。動いていない時間を、遅れとして数える。けれど糠床は、急かしたところで早く漬からない。手を動かせない時間を、無駄ではなく仕込みと呼べるかどうか。発酵が教えてくれるのは、たぶん技術ではなく、その呼び方のほうだ。
ABC編集部
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