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余裕があるときだけの倫理、という矛盾

不況になって真っ先に削られるものが、その企業の本当の優先順位を教えてくれる

ABC編集部2026.07.15 6分
余裕があるときだけの倫理、という矛盾

景気が悪くなるたびに、企業のインクルージョン施策や倫理研修は静かに縮小される。それは本当に「余裕がなくなったから」なのか、それとも最初から本気ではなかったからなのか。複数の研究知見を手がかりに考える。

好景気のときには、多様性、公正さ、包摂といった言葉が、企業のウェブサイトや採用ページに華やかに並ぶ。研修が組まれ、担当部署がつくられ、経営陣のスピーチにも欠かさず登場する。ところが景気が傾き始めると、これらの取り組みは驚くほど早く縮小の対象になる。予算削減のリストの上位に、なぜかいつも同じ項目が並ぶ。

この現象自体は、決して目新しいものではない。景気後退期に企業が「コア事業」への集中を掲げ、周辺と見なした施策を切り離すのは、経営判断としては筋が通っているようにも見える。行動経済学の分野では、資源が乏しいと感じたときに人の視野が狭くなり、短期的な生存に関わる選択肢だけが目に入りやすくなるという知見が繰り返し示されてきた。個人の心理としても、組織の意思決定としても、余裕のなさは視界を狭める。

問題は、その狭まった視界の中で真っ先に切り捨てられるものが、多くの場合、数字に表れにくいものだという点にある。売上や納期のように四半期で測れるものは残り、公正な評価制度や、声を上げにくい立場の人への配慮のように、効果が長期にわたってしか見えないものから削られていく。つまり倫理的な取り組みが後退するのは、それが「余分」だったからというより、もともと測定しやすい成果の陰に置かれていたからだ、という見方も成り立つ。

マーケティングの文脈で見ると、この構造はもう少し露骨になる。好景気の間、多様性への配慮はしばしば「見せる」ためのものとして扱われてきた。採用広告のビジュアル、企業の年次報告書、SNSでの発信。注意を引くための素材として消費され、景気が良いときの「余裕のアピール」として機能していた面は否定しがたい。だとすれば、不況で真っ先にそれが消えるのは当然の帰結でもある。飾りとして掲げられたものは、飾る余裕がなくなれば外される。

一方で、すべての企業が同じ振る舞いをするわけではない。小さな事業やスタートアップの中には、そもそも大がかりな施策として掲げるのではなく、日々の採用や評価の判断の中に公正さを組み込んでいるところもある。看板を立てていない分、景気後退時に「外す」ものもない。倫理が制度としてではなく、意思決定の習慣として根づいているかどうかが、こうした局面で静かに試される。

AIの導入が進む中で、この構図はさらに複雑になりつつある。コスト削減の名の下に採用や評価の判断をアルゴリズムに委ねる動きは、皮肉なことに、人間の恣意的な倫理観をむしろ後退させにくくする側面も持つ。判断基準が明文化され、記録が残るからだ。もっとも、その基準自体に偏りが埋め込まれていれば、見えない形で同じ問題が再生産されるだけでもある。道具としてのAIをどう使うかは、結局のところ、それを設計し運用する側の優先順位を映す鏡にすぎない。

景気が悪くなると企業倫理が後退する、という言い方は、半分正しく半分は言い訳でもある。本当に問われているのは、好況のときにその倫理がどこに置かれていたかということだ。中核の意思決定の中にあったのか、それとも見栄えのよい飾りとして、余裕の証として掲げられていただけなのか。不況は、それを検査する機会を私たちに与えているのかもしれない。

よくある質問

景気が悪化すると本当に企業の倫理施策は減るのか
個別企業や業界差はあるが、コスト削減の局面で真っ先に見直しの対象になりやすい傾向は、複数の分野の観察や研究で指摘されてきた。ただし特定の統計値は本稿では断定していない。
多様性施策そのものが悪いということか
そうではない。問題は施策の中身ではなく、それが『余裕があるときの飾り』として位置づけられてきたかどうかという点にある。
AIの導入は企業倫理にとって良いことなのか悪いことなのか
判断基準を可視化し恣意性を減らす可能性がある一方、設計段階の偏りをそのまま再生産する危険もあり、一概には言えない。
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