アート
門は、外から開いた
藤井風の曲が世界に届いた道は、これまでのJ-POPと逆だった

二〇一〇年の元日、岡山県里庄町の喫茶店で、十二歳の少年がピアノを弾いている。撮っているのは父親で、その父は、楽器を弾けない。
二〇一〇年の元日、岡山県里庄町の喫茶店で、十二歳の少年がピアノを弾いている。撮っているのは父親だ。そしてその父自身は、楽器を弾けない。あるのは「これからはYouTubeの時代」という直感だけだった。音楽と子供が好きだという一心で自分も学び、息子に教えたのだと伝えられている。藤井風の出発点は、音楽事務所でも、音楽一家の英才教育でもなく、この喫茶店のピアノだった。
クラシックも、J-POPも、洋楽も、耳で拾って弾いた。十代のほとんどを、彼はそうやって他人の曲を弾いて過ごしている。そして二〇二〇年一月、「何なんw」で世に出たとき、その歌には岡山の言葉が混じっていた。一人称は「ワシ」。日本のポップスの言葉は、長いあいだ、ほとんど標準語だった。売れるためには言葉の角を落とす——そういうことになっていた。彼はそこを、素通りしている。
そして二〇二二年の夏。「死ぬのがいいわ」が、突然、海を渡った。
この曲について、いくつか押さえておきたいことがある。発表は二〇二〇年五月、一枚目のアルバムの収録曲だ。シングルではない。MVもない。つまり、誰も推していなかった。二年間、アルバムの中で静かに置かれていた曲が、二〇二二年七月末、タイのTikTokユーザーのあいだで使われはじめる。そこから、Spotifyのグローバル・デイリー・バイラルで最高四位、十七の国と地域のチャートで一位まで駆け上がった。タイ、ベトナム、シンガポール、インドネシア、エジプト、カナダ、フランス——地図の広がり方に、脈絡がない。
ここが、いちばん面白いところだ。それまで日本の曲が海外で聴かれるとき、道はだいたい決まっていた。アニメの主題歌になること。作品が世界へ運ばれ、その荷物として曲も運ばれる。公式の、まっとうな門だ。ところが「死ぬのがいいわ」を広めた最初の火種は、タイの誰かが『呪術廻戦』の映像を勝手に切って曲に合わせた、二十秒ほどの動画だったという。アニメは消えていない。役割が入れ替わったのだ。宣伝のための門だったものが、ファンが自由に使う素材になった。門番が、観客になった。
もっとも、これを「一人の天才が日本の音楽をひっくり返した」と読むのは、たぶん急ぎすぎだ。アルゴリズムがやった仕事は大きいし、同じ時期に海を渡った日本の曲はほかにもある。門を壊した人、というより、門がもう門として機能しなくなっていた場所に、いちばん自然な格好で立っていた人。そう言ったほうが、事実に近い気がする。天才という言葉は便利だが、何も説明してくれない。説明してくれるのは、喫茶店と、方言と、誰も推さなかった一曲のほうだ。
そして、話はここで一度ひっくり返る。二〇二五年九月に出た三枚目のアルバム『Prema』——至上の愛——は、全曲が英語詞だった。それがBillboard JAPANの総合アルバムチャートで一位になる。「ワシ」と歌って世界に届いた人が、いま、英語で歌っている。ツアーはこの夏、札幌から始まり、年末には福岡・大阪・東京のドームへ、そして二〇二七年には欧州と北米へ向かう。国内の夏フェスに出るのは、意外にもこれが初めてだという。
いちばん土着的なものが、いちばん遠くまで彼を運んだ。では、さらに遠くへ行くために、その土着を手放す必要があったのだろうか。それとも順番が逆で、遠くまで行ったからこそ、何語で歌うかが自由になったのだろうか。どちらとも、まだ言えない。ただ、門が外から開くことがあると知ってしまった以上、次に何が起きるかを予想するのは、前より少し難しくなった。それは、たぶん、悪いことではない。
ABC編集部
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