コンパス
時間は、まっすぐ進むのか
円環の時間を生きたマヤ文明は、世界をどう見ていたのか

カレンダーは、ただの日付の並びではない。それは、その文明が「時間とは何か」をどう考えたかの、静かな告白だ。
カレンダーは、ただの日付の並びではない。それは、その文明が「時間とは何か」をどう考えたかの、静かな告白だ。
私たちは時間を、まっすぐな線で考える。過去から未来へ、一方向に進んでいく矢印。誕生日を数え、締め切りへ向かい、年をとる。けれどマヤの人々が生きた時間は、線ではなく、円だった。
マヤには複数の暦が噛み合って動いていた。二百六十日の周期と、三百六十五日の周期。歯車のように組み合わさり、やがて同じ配置がめぐってくる。時間は使い切って消えるものではなく、めぐり、還ってくるものだった。
二〇一二年、「マヤ暦が終わる=世界の終わり」という話が世界中を騒がせた。けれど、あれは誤読だった。終わったのは大きな周期の一区切りで、次の周期が始まっただけ。円環の時間に「終末」はない。煽りの声には、静かに距離を置いていたい。
直線の時間は、私たちを前へ急がせる。円環の時間は、めぐりの中に自分を置く。どちらが正しいという話ではない。ただ、暦をひとつ変えて世界を眺めると、「立ち止まる」ことが遅れではなく、めぐりの一部に見えてくる。マヤ暦がくれるのは、予言ではなく、その問いだ。
ABC編集部
編集部




